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名古屋地方裁判所 昭和55年(ワ)620号 判決 1988年12月05日

原告

石黒浩幸

右訴訟代理人弁護士

南谷幸久

南谷信子

被告

名古屋市

右代表者市長

西尾武喜

右訴訟代理人弁護士

鈴木匡

大場民男

右訴訟復代理人弁護士

山本一道

伊藤好之

鈴木順二

朝日純一

鈴木和明

吉田徹

鈴木雅雄

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金二八〇四万八一〇〇円及びこれに対する昭和五二年一二月九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告は、後記2の事故(以下「本件事故」という。)当時、名古屋市立菊井中学校(以下「本件中学校」という。)の第三学年D組に在学中の生徒であった。

(二) 被告は、本件中学校の設置管理者であり、訴外近藤得男(以下「近藤」という。)は、本件事故当時、本件中学校の体育教諭として勤務する公務員であった。

2  事故の発生

原告は、昭和五二年一一月一日午前九時二〇分ころ、本件中学校の体育館において、正課である体育の授業の一環として、担当教諭である近藤の指導により、訴外浅田博勝(以下「浅田」という。)を相手として、竹刀を用い、防具を着けて面を打ち合う剣道の練習をしていたところ、浅田が使用していた竹刀(以下「本件竹刀」という。)の本体を構成している竹材の一本が切先から約一二センチメートルの箇所で折れてちぎれ、残った部分の折れ口が原告の面がねの間から入り込んで原告の右眼下に突き刺さって視神経を切断し、それまで視力1.2であった右眼を失明するに至った。

3  近藤の過失

剣道は、もともと、防具を着用するとはいえ、竹刀で相手の胴、頭、小手等を打ち合う格闘技であり、破損した竹刀を用いて実技を行うと、その破損部分が面がねの間を通って相手の顔面に突き刺さる等の事故の発生が十分予測されるところであるのみならず、本件事故当時授業を受けていた原告ら生徒は、一五歳前後の少年で、しかも剣道についてはいずれも初心者であったから、

(一) 近藤としては、当該練習開始前において、自らすべての竹刀の一本一本を手に取り、これらが破損していないことあるいは破損しやすい状態になっていないことを十分点検、確認して事故の発生を未然に防止すべき注意義務があるのにこれを怠り、単に生徒をしてこれを点検させただけで漫然右練習を開始せしめた過失により、本件竹刀が右開始前既に破損していたか又は破損しやすい状態になっていたのにこれを発見することができず、よって、本件事故発生に至らしめたものである。

(二) 仮に、右練習開始前には本件竹刀に異常がなかったとすれば、その開始後間もなく本件竹刀は破損したものであるところ、近藤としては、事前に生徒に対し、剣道練習中竹刀の異常に気付いたなら即座に練習を中止してその旨を直ちに申し出ること、以後その竹刀を使用してはならないことを厳重に注意した上、練習開始後においては、自ら生徒全体を見渡せる位置にいるか又は生徒の間を見回って常に生徒の動静等に注意を払い、竹刀の破損その他の異常事態の発見をし、その後の適切な措置を講ずるべき注意義務があるのにこれをいずれも怠った過失により、浅田をして本件竹刀破損後も練習を継続せしめる結果を招来し、よって、本件事故発生に至らしめたものである。

4  原告の被った損害

(一) 後遺障害による逸失利益

一八七九万〇一〇〇円

原告の右眼失明の傷害は自動車損害賠償保障法施行令別表第八級一号の後遺障害に該当し、これによる原告の労働能力の喪失率は四五パーセントとなすべきであるところ、原告は、本件事故当時大学進学の予定であり、大学卒業後の二三歳から六七歳まで稼働できること、昭和五二年の賃金センサスにより二〇ないし二四歳の大学卒業者の平均年収は一九二万七七八三円であることを前提とし、ホフマン式(係数21.66)により年五分の割合による中間利息を控除して、右後遺障害による逸失利益の本件事故当時の価額を算出すると、一八七九万〇一〇〇円となる。

原告は、右後遺障害により、右金額の得べかりし利益を喪失したものというべきである。

(二) 後遺障害による慰謝料

八〇〇万円

本件事故は、原告が高校進学を目前にした第三学年の二学期に発生したため、原告は二学期の中間、期末の各試験を受けることができなくなり、受験勉強も困難になったことから、公立高校への進学をあきらめて私立高校への進学を余儀なくされたばかりでなく、右眼の失明により日常生活において距離間がつかめないため疲労が大きく、また、眼球自体は傷ついていないものの斜視のような目つきになったことなどにより甚大な精神的損害を被った。右損害に対する慰謝料の額は八〇〇万円が相当である。

(三) 看護料 二五万八〇〇〇円

原告は、本件事故による傷害の治療のため、九日間の入院及び三四日間の通院を余儀なくされたが、右入、通院の際には原告の両親が付添って看護をした。

しかして、右看護のための費用としては、一日六〇〇〇円(一人当たり三〇〇〇円)と評価すべきものであるから、入、通院合計日数四三日に右六〇〇〇円を乗じた二五万八〇〇〇円となる。

原告は、本件事故により、右看護費用相当額の損害を被ったものといわなければならない。

(四) 弁護士費用 一〇〇万円

原告は、被告が原告の被った損害を任意に賠償しないため、弁護士たる原告代理人に依頼して本件訴訟の提起、維持を余儀なくされた。

しかして、本件事故と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は一〇〇万円をもって相当とすべきものである。

よって、原告は、被告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、右4の損害合計二八〇四万八一〇〇円及びこれに対する不法行為の日より後である昭和五二年一二月九日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1、2の各事実はいずれも認める。

2  同3の冒頭の事実中、本件事故当時授業を受けていた原告ら生徒が剣道について初心者であったとの点は否認し、その余の点は認める。

同3の(一)のうち、近藤が自ら竹刀を点検せず、生徒をしてこれをなさしめたことは認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

同3の(二)のうち、近藤が当該注意義務を怠ったとの点は否認し、その余の事実及び主張は認める。

3  同4の(一)のうち、原告の傷害がその主張のとおりの後遺障害に該当し、当該別表には労働能力喪失率が四五パーセントとされていること、原告主張の数値を基礎にし、原告主張の計算方法で計算した場合の計算結果が原告主張のとおりの金額となること自体は認め、その余の事実は否認し、主張は争う。

同4の(二)のうち、本件事故は原告が中学三年生の二学期に発生したこと、本件事故により原告の右眼が失明したこと、原告の眼球自体は傷ついていないことは認め、原告が二学期の中間、期末の各試験を受けることができなくなったとの点は否認し、その余の事実は不知、主張は争う。

同4の(三)のうち、原告の入院日数が九日であったことは認め、通院日数の点は否認(通院日数は二四日である。)し、その余の事実は不知、主張は争う。

同4の(四)の前段の事実は認め、後段の主張は争う。

三  被告の主張

1  竹刀の点検等

(一) 竹刀本体は、四本の竹材で構成され、先革、中ゆい、柄革及びつばによって固定されているところ、竹刀の安全性の点検は、目で見、手で触れて、竹材のささくれやひび割れの有無その他固定具の状況等を確認する方法でなされるのが通常である。

(二) ところで、本件中学校においては、剣道の授業は、名古屋市教育委員会の基準に準拠して第一学年から第三学年まで体育の正課として行われていたところ、竹刀の安全点検については、次のような指導がなされている。

即ち、本件中学校では、竹刀は生徒が購入して自ら保管することになっており、竹刀の破損等の異常については常日ごろから生徒各自をして注意を払わせることとしている。そのため、初めて剣道の授業を受ける第一学年の生徒に対しては、あらかじめ、竹刀を分解して構造を示した上、竹材がささくれてきたら削ること、竹材がひび割れている場合には学校側で用意している補修用テープを巻くこと、また、竹刀にろうを塗って滑りを良くし、ささくれが発生し難いようにすること、さらに、竹刀の異常に気付いたときには直ちに申し出ること等と教示している。生徒から右申出があって、異常があると判断したときには、本件中学校で保存している竹刀又は教諭用竹刀を使用させている。

しかして、剣道の授業毎に、担当教諭において、生徒に対し、竹刀の点検をするよう指示し、また、竹刀に異常が生じたらすぐ申し出るよう注意を与えていたものである。

(三) 近藤は、本件事故当日、剣道の授業を受ける予定の原告を含む第三学年D、E組の男子生徒を体育館に集合させ、精神統一のため正座、黙想をさせた後、出席者数と生徒の健康状態を確認し、当日行う授業の内容を説明した上、「自分の竹刀をよく見よ、前後左右の人の竹刀をよく見よ。」と指示し、生徒をして自分の竹刀及び周囲の生徒の竹刀の点検をさせ、近藤自身も生徒間を見回って、竹刀の安全性について注意を払ったものである。

してみれば、近藤は、竹刀の安全性について点検すべき注意義務を尽くしたというべきである。

2  本件事故は、突発的事故であり、近藤が本件事故の発生を予測することも回避することも不可能であった。

即ち、本件事故は、原告と浅田が剣道の練習を開始した後、たまたま浅田の竹刀の竹材部先端が破損し、その折れ口が偶然にも原告の面がねの間に入ったという予測できない突発的事情により発生した。

しかも、浅田は、練習中竹刀の異常に気付いた場合には、直ちに申し出るよう指導を受けていたのに、竹刀の異常に気付きながら、その申出をしないままなお若干の時間練習を続けたため、本件事故に至ったものであるが、一方、近藤は、原告と浅田が練習していた場所とは離れたところで別の生徒の指導をしており、自ら浅田の竹刀の異常に気付くことは不可能であったから、近藤としては、本件事故の発生を事前に予測し、これを回避することはできなかったものである。

3  損害の填補

原告は、日本学校安全会から、本件事故に関し、昭和五四年一一月ころ廃疾見舞金として二九五万円、昭和五二年一一月ころから昭和五三年一二月ころまでの間に数回にわたり医療費として計六万一三九六円、合計三〇一万一三九六円の支給を受けている。

右金額は、本件請求金額から控除されるべきものである。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張1の(一)の事実は認める。

しかし、本件事故は、若年でしかも剣道の初心者の間で生じたものであるから、通常の点検方法ではもとより不十分であったというべきである。

同2の(二)、(三)の各事実はいずれも否認し、主張は争う。

2  同2の事実は否認し、主張は争う。

3  同3のうち、原告が日本学校安全会から二九五万円の支給を受けたことは認めるが、右金員の性格の点を含むその余の事実は否認し、主張は争う。

原告が、日本学校安全会より支給を受けた合計金額は、右二九五万円を含め三〇〇万八七六〇円であるが、これは見舞金であって、本件請求額より控除されるべき性質のものではない。

第三  証拠関係<省略>

理由

一請求原因1、2の各事実はいずれも当事者間に争いがない。

二そこで、本件事故につき近藤に過失があったかどうかについて検討する。

1  剣道が、防具を着用するとはいえ、竹刀で相手の胴、頭、小手等を打ち合う格闘技であり、破損した竹刀を用いて実技をすることによる危険の発生は十分予測されるところであるから、剣道実技を授業として行う場合には、担当の教諭たる者は、事前にはもとより、授業中においても絶えず、竹刀が破損していないこと、あるいは破損しやすい状態になっていないことを確認し、もって生徒の身体につき危険の発生を未然に防止すべき注意義務があることは当然のことである。

2  そこで、本件事故に至る経緯その他の事情について考える。

<証拠>を総合すると、

(一)  近藤は、本件事故当時剣道三段であり、昭和四八年四月から本件中学校で保健体育科教諭として、剣道の授業をも担当していた。しかして、本件中学校の男子については、名古屋市教育委員会が定めた中学校教育課程に従い、剣道の授業が、第一学年から第三学年まで年間各一四、五時間宛体育の正課として行われていた。

(二)  剣道の長年にわたる歴史の中で確立された竹刀の点検方法は、竹刀の使用者自らがそれを目で見、それに手で触れて異常の有無を確認するというものであり、中学生以上であれば、この方法によるのが一般的であるところ、本件事故に至るまでの本件中学校における竹刀点検方法もこれと同じであり、各授業時間の冒頭において、担当教諭の指示により、生徒が各自の竹刀を、場合によってはこのほかに、手近の他の生徒の竹刀をも点検することにしていた。

(三)  本件中学校では、本件事故に至るまで、竹刀は生徒が自ら調達、保管することになっていたところ、初めて剣道の授業を受ける第一学年の生徒に対しては、事前に、竹刀を分解して各部分の名称や構造を示した上、竹材にささくれができたときは、硝子でこすって削ること、竹刀の竹材と竹材の間にろうを塗って滑りをよくし、ささくれが発生しないようにすること、また、竹材がひび割れている場合には、学校で用意した補修用テープを巻くことなどを教示し、さらに、竹刀の異常に気付いたときには直ちに申し出るよう指導していた。右指導等をなした後も、竹刀の分解はして見せないものの、授業時間内に機会がある毎に、右同一の教示や指導を行っていた。浅田や原告は、右のような指導等を第一、二学年で受け、本件事故までには、第三学年の授業のうち約三時間をも修了していたものである。

(四)  ところで、本件事故は、原告を含む第三学年D、E組の男子生徒各二二名、計四四名が近藤の担当で剣道の授業を受けている最中に発生したものであるが、近藤は、まず、生徒を体育館の床に一一名ずつ四列に並ばせて正座させ、精神統一のための黙想等をさせた後、引き続きそのままの姿勢で竹刀の点検を行った。その方法は、生徒達に、「自分の竹刀をよく見よ。前後左右の人の竹刀をよく見よ。」と指示してそのようにさせ、近藤自身は、生徒の点検する有様を見渡して、指示どおり行われていることを確認するというものであった。その時、浅田からはもとより他の生徒からも、竹刀の異常の報告はなく、近藤自身も何ら異常は認識しなかった。

(五)  その後、近藤は、生徒全員に竹刀の素振りをさせた後、二人一組にして面打ちをやらせたが、この時も竹刀の異常は報告されなかった。そして、引き続き、出ばな技の説明をした上、二人一組にして出ばな面の打ち合いを交互に一〇秒間ずつ三回ほどやらせたが、この時、浅田は原告と組になって面を打ち合った。その際、浅田は、原告の面を打った際の竹刀の音が急にそれまでと変わり、竹刀の竹材の一本が折れたことに気付いたものの、そのままわずか数回打ち続けたところ、本件事故が発生した。近藤は、生徒の間を順次見回っていたが本件事故発生前後のころには、原告及び浅田らのいた場所とは離れた場所を見回っており、先生と呼ばれて初めて本件事故に気付いた。

なお、浅田は、竹刀の異常に気付いたら直ちにその旨を申し出るよう指導を受けていたことは認識していたものの、大事に至ることはないと軽信し、右指導に反して、右申出をしなかったものである。

(六)  本件竹刀が当該授業開始前既に破損していたとかあるいは破損しやすい状態であったとの証左ないし痕跡はない。

以上の事実が認められ、<証拠>中右認定に反する部分はいずれも前掲各証拠と対比したやすく措信しがたく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

3 右認定の事実関係に照らして考えるに、本件竹刀が当該授業開始前既に破損等の状態にあったと認められない以上、このような状態にあったことを前提とする請求原因3(近藤の過失)の(一)の主張は認容するに由のないものであるが、仮に右状態にあったとしても、近藤には同項で原告が主張するような過失があったとは認められない。けだし、右1で説示のとおり、近藤には事前に竹刀の破損等のないことを確認すべき注意義務はあるものの、同人は一般に行われているところと同じ方法で竹刀の点検をなしているのであって、その仕方自体に何らかの手落ちがあるとは認められないからである。

原告は、近藤自身が生徒の竹刀を一本一本手にとって安全性を点検すべき注意義務があると主張し、その根拠として、原告ら生徒が本件事故当時一五歳前後の少年で、しかも剣道について初心者であったというが、右生徒と剣道とのかかわり合いは右認定のとおりであってみれば、必ずしも初心者ということはできず、その年齢の点も、近藤のなした方法で竹刀の安全性の確認をするについて支障があるほど若年とは到底いい難い上、右認定の諸般の事情をも合わせ考えると、右主張は採用することができないものである。

ところで、本件竹刀は当該授業開始後破損したものと認められるが、右認定のような状況であれば、近藤には授業中の生徒の動静を注視する義務を怠ったといいうるような事由はないところ、本件事故発生前に本件竹刀の異常に気付くことを期待することは無理というべきであり、また、近藤は、右授業開始直前にはともかく、本件中学校の体育科教諭として日頃から、原告や浅田を含む生徒に対し、竹刀の異常に気付いたら直ちに申し出るよう指導していたものであり、現に浅田は本件竹刀の異常に気付いたとき右指導を受けていたことを認識していたものであるから、結局請求原因3の(二)の原告の主張も理由がないことに帰するものである。

三以上の検討の結果によれば、その余の点につき判断するまでもなく、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、注文のとおり判決する。

(裁判長裁判官伊藤邦晴 裁判官小松峻 裁判官深沢茂之)

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